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過去の講座を紹介します

環境情報活動センターでは、毎月2~3の環境学習講座を開催しています。リサイクル講座・木の実などを使ったクラフト講座・自然観察などのフィールドワーク・夏休み子ども講座・環境教養講座など、多彩な内容でお送りしています。 このコーナーでは、講座のレポートを掲載していきます。(過去の講座を紹介しますのトップへ戻る

頭のいい江戸のエコ生活

カテゴリ:平成26年度

投稿日:2014年11月27日

 平成26年11月9日(日)品川区環境情報活動センターにおいて、環境学習講座「頭のいい江戸のエコ生活」が開催されました。 講師は三度の食事より「江戸の咄」が大好きとおっしゃる江戸文化研究家の菅野 俊輔さんです。

 江戸時代中期(18世紀)の江戸は人口100万人をこえる大都会になりました。戦国の世が終わり、江戸幕府が樹立されると、経済発展があり、人や物の流れがうまく機能して、人々の暮らしぶりはシンプルななかにも、豊かさがうかがえるものでした。
 徳川将軍家の城下町となった江戸は、御城を中心に武家地、寺社地、町人地が区分けされ、その多くを武家地・寺社地が占め、20%に満たない町人地に庶民が暮らしていました。御府内は4里(約16km)四方で、その外側は農業地帯でした。日本橋から東海道の最初の宿場、品川宿までは2里(約8km)で、歩いて約2時間の距離です。                                           
江戸の東側の近郊は米・野菜の供給地      
 江戸の前期(17世紀)、隅田川以東の農業地帯が江戸の消費人口をささえる米や野菜の生産地に指定され、本所・深川(江東区)の埋立・整備によって東西を結ぶ堅川、南北に通じる横川などが開削され、水運の便がはかられました。中期(18世紀)になると、人口増加を受けて本所・深川が武家地や町人地になり、周縁にあたる江戸川西岸の葛西筋(江戸川区・葛飾区・墨田区)が小松川の小松菜や寺島のナスなど野菜の供給地となりました。生産された豊富な野菜は水路を使って江戸の市場に運ばれます。江戸の人々は、まさに地産地消の新鮮な野菜を毎日口にすることができたのです。
 他方、蛋白源でもある魚介類は、江戸前の内海のみならず、外洋からもたくさんの魚類が日々、江戸の魚市場(日本橋と新場)に届けられました。
江戸時代は現代人が考えるよりもはるかに新鮮で豊富な食材に恵まれ、おいしい食生活を送っていたといえるかもしれません。
 江戸の町には原則として年貢という税金はありませんでした。農業地帯の品川地域は町並みとなった品川宿も年貢地として税金を納めていました。経済的には独立していて、地域で生産された野菜類は品川宿の「青物の市場」(青物横丁)に運ばれ、魚介類は南品川から目黒川に沿って北に伸びる猟師町から供給されました。
江戸庶民の生活
 庶民は長屋(裏店)とよばれる共同住宅に住んでいました。城下町の中心部(中央区・千代田区)に格子状に整然と並ぶ町は、通りに面した四方が商家や職人の見世(店舗)で、その内側に「裏店」がありました。家族の住む一軒の広さは間口二間、奥行き二間の八畳ほどで、六畳の部屋と玄関の土間、台所からなっています。六畳の部屋は居間、食堂、寝室を兼ねており、2階建てになった江戸後期(19世紀)では十分な生活空間でした。必要なものは「ふとん」「仕事道具」「行灯」位で、季節用品は損料屋からレンタルできます。
  
庶民の居住地・裏店         江戸のリサイクル職人
一日は明六つから
江戸の一日は「明け六つの鐘」で始まります。おかみさんは朝食の準備、旦那さんは湯屋、髪結床で仕事モードになってもどり、子どもと共に家族そろっての食事となります。魚介類、野菜は毎日、行商人から必要な分だけ買うことができるため、食材のあまりはないのです。かまどの灰も、行商人が肥料用に回収にきます。徹底したエコ生活です。
  
江戸っ子の好んだおかずの番付  おかみさんの「井戸端会議」
 食事が終わると旦那さんは仕事へ、子供は手習いへでかけます。掃除のあと、おかみさんは洗濯をしながら楽しい「井戸端会議」です。これは大事な情報収集の時間なのです。
 新興都市としての江戸は男性が多かったのですが、18世紀後半の幕府の経済政策によって社会が活性化し、農村からは、女性も江戸に働きにやってくるようになり、結婚して長屋に住むようになります。エコ生活をささえたおかみさんの誕生です。その子どもとして生まれた19世紀の女性は、読み書きを習い、習いごとをしたことから、武家屋敷で奉公する機会も生じて高い教養を持つようになり、出版文化のにないてともなったのです。

カテゴリ:平成26年度

投稿日:2014年11月27日