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過去の講座を紹介します

環境情報活動センターでは、毎月2~3の環境学習講座を開催しています。リサイクル講座・木の実などを使ったクラフト講座・自然観察などのフィールドワーク・夏休み子ども講座・環境教養講座など、多彩な内容でお送りしています。 このコーナーでは、講座のレポートを掲載していきます。(過去の講座を紹介しますのトップへ戻る

大森貝塚と縄文時代の地球環境

カテゴリ:平成22年度

投稿日:2010年07月22日

6月27日(日)品川歴史館において、環境学習講座「大森貝塚と縄文時代の地球環境」(講師:品川歴史館学芸員 白石祐司氏)が開催されました。豊富な資料、写真をもとに大森貝塚と縄文時代の地球環境について講義をしていただきました。
 
1 縄文時代の環境変化
30万年前から気温の変化をみると、温暖化から寒冷化にゆるやかに変化し、現在は寒冷化のなかで上昇という時代になっている。縄文期は温暖化が上昇した時期で、東京湾の海進(カイシン)が進み、海が内陸部にまで広がった変化のある時代だった。(約6000万年前)その後中期からは(約5000万年前)寒冷化になり海退(カイタイ)が徐々に進み、現代にまでつながっている。【縄文時代とは約13000年前から約2300前を指す】
2 大森貝塚の概要
大森貝塚は明治10年(1877年)6月、エドワード・S・モースが、横浜から東京に向かう汽車の窓から発見した。大森貝塚が日本考古学発祥の地である所以は、それまで盗掘的なものが多かった発掘を、初めて目的意識をもって行った科学的な発掘調査であり、発掘調査報告書を刊行したことによる。報告書は、貝層について記載し、土器・装身具・土版などの遺物について図版とともに説明・考察している。
3 モース以後の発掘と新発見
◎品川区第1次発掘区調査(昭和59年:1984年)
明治10年(1877年)のモース発掘以後は、昭和16年(1941年)大山柏が率いる慶應義塾大学の発掘のあと、昭和59年(1984年)に品川区第1次調査が行われた。この調査でわかったことは、
�貝塚の発掘から場所によって貝塚形成時期が異なること(A貝塚:晩期3300〜3000年前、B貝塚:後期:3500〜3300年前)が発見された
�他の地方からの土器が入ってきている
 東北や北陸などの土器が確認され、広い範囲との交流が行われていたことがわかった
�A貝塚、B貝塚を構成する主要な貝が異なっている
・B貝塚(後期) ハイガイ、サルボウガイ(泥性貝)
・A貝塚(晩期)ハマグリ、アサリ(砂泥性貝)
どちらかと言えば暖かい地方で取れるハイガイが減少したのは、東京湾の海退が進み、大森貝塚目前に眼前に広がっていた小さな入り江が埋没し始め、ラグーン化(砂が溜まって湖状になる)が進み、目の前の海で取っていたのが、遠くまで潮干狩りをするようになったというように、環境が変わっていった。
◎品川区第2次発掘区調査(平成5年:1993年)
 台地上に竪穴式住居跡が発見され、これから後期の貝塚を作った人々が台地上で生活していたことが明らかになった。出土品としてはニホンジカ角製の鈎針やオオツタノハガイの腕輪、ハマグリの貝刃(カイジン:貝で作った刃物)など多数ある。

4 貝塚について
 貝塚は広義には集団生活から出るゴミを集めた場所(ゴミ捨て場)とされているが、加工工場としての役目がある貝塚もある。例としては、東京都北区の中里貝塚があり、春のカキ、夏のハマグリが交互になった純貝層が出土している。ここから土器は殆ど発見されず、養殖用とみられる杭跡もあるところから、重い貝殻を捨て、3〜4km先の集落へ中身だけ持って行く加工工場の役目だったのではないかと考えられている。通常貝塚は海岸から3〜4km程離れているところに築かれ、数km圏内は少ないとされているのは、主食は木の実などで貝塚の貝は副食であったためだが、大森貝塚ではすぐ東側が海岸線なので、主食は木の実、貝や魚であった可能性もある。通常の集落と異なり、港のような中継地点であった可能性もあると思われる。
5 過去から現代考える
 過去1万年前の大気中の二酸化炭素の濃度は、1900年代までは緩やかに上昇するにとどまっていたが、その後一気に上昇している。温暖化が叫ばれている昨今、100年後になってやっとわかるのが、大気汚染ではないか。この先どうなるか、自分達の生活を見つめ直してもよいのではないでしょうか
大森貝塚の話は、考古学の元祖に水戸光圀がいたり、モースは「実は腕足類の研究に来日した」というような話もあり、縄文時代からずっとつながっている歴史を感じる楽しい講座でした。

カテゴリ:平成22年度

投稿日:2010年07月22日