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幕末の御台場埋め立てと品川宿

カテゴリ:平成21年度

投稿日:2010年02月14日

2月14日(日)品川歴史館において、環境学習講座「幕末の御台場埋め立てと品川宿」(講師:品川歴史館学芸員 冨川武史氏)が開催されました。定員50名でのところ、応募者多数のため急遽70名に増員することとなり、豊富な資料をもとに幕末の御台場埋め立てを取り巻く品川宿の環境変化について講義をしていただきました。
   
 御台場の建設はペリー来航とともに始まった。幕府は条約を少しでも対等に行なうため軍事施設つくる必要に迫られ、江戸湾品川沖に御台場の普請(フシン、建築土木の工事のこと)を決断する。これは幕府主導では初の事例となるヨーロッパの書物をテキストとする「西洋式台場」で、海上埋め立てによる人工島砲台築造であった。わずか1年4ヶ月の短期間で6つの御台場が設けられた。
 この御台場建設のため必要になった土砂は、次のように運んだ。
 \岳寺中門外土取場(ツチトリバ)から泉岳寺前海岸へ
 下高輪今治藩下屋敷土取場から八ツ山下海岸へ
 8翕損嚇攫莨譴ら南品川猟師町へ                 
このうち、品川宿に大きな影響、被害を与えたのが、の御殿山の土取(ツチトリ)だった。
詳しいルートは御殿山→大横町・仮問屋場跡(品川宿横断)→利田新地(カガタシンチ)
       御殿山→善福寺境内→東海寺黒門通→(品川宿横断)→南品川猟師町
  安政2年1月時点の品川台場周辺   

                       

 このころ品川宿では、嘉永5年7月の火災で復興の最中であったが、御台場建設のため大きな打撃をうける。嘉永6年12月より御殿山から土取りを開始するが、それに先立ち、嘉永6年9月土出しルートに位置する家屋の取り壊し、目黒川河口部の埋め立て、南品川猟師町内の網干場に掘割を造成するなどの触(フレ)が幕府より出ることになった。(当時の品川沖は、埋め立てられた今では考えられない水産資源の豊かな海で、ヒラメ、コチ、カレイをはじめ多種な魚がとれ、海苔も幕府に上納していた。)
 そこで嘉永6年9月28日付で進路変更の願いをだすが通じず、最終的には全面的に通行禁止となった歩行新宿(カチシンジュク)は土取道となって店は壊され、漁業一筋であった猟師町は魚が取れなくなってしまった。→(漁業一筋であった猟師町は土出場にあてられ、土砂運搬船が多数停泊したため、大きな被害を蒙った)。
 幕府は同年12月御殿山から土取り開始、御台場普請中は泉岳寺から品川宿間が往来差留となり、御殿山の西方や東海道と平行する二本榎通りを使って仮往還道を設置した。台場普請後には、警備担当となった鳥取藩池田家より、船の用意、人夫や馬の手配その他もろもろの御用達を命ぜられ、普請に引き続き宿場には大きな負担となった。品川の風物詩であった潮干狩りは台場普請中も行われ、多くの人で賑わったようだが、三番台場付近では収穫が落ちたという。やはり御台場埋め立てによる影響で海が荒れたのだろうか。
 御台場埋め立てにより品川宿周辺の環境は大きく変化していった。

 現在、レインボーブリッジの歩道から、残った第6台場、第3台場を見ることができます。空気の澄んだ冬はとりわけよく見えますので、背後の「新しいお台場」と比べて当時に思いをはせるのはいかがでしょうか

カテゴリ:平成21年度

投稿日:2010年02月14日

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